2021年04月02日
徒然日記 12
日本人は老々介護のパイオニア
ここまでは、私の60代半ばから現在、後期高齢者になるまでの介護にまつわることを書いてきました。75歳になった私は、少し前でしたら充分な年寄りです。当然、介護される側の人間のはずでした。しかし、この100年間、極端にいえば、この60年間で日本人の寿命がぐ~んと延びました。世界でも一番の長寿国になったのですね。
実は、喜んでもいられません!一番初めに未知の世界に日本人は、入ったのですから、全て前例がないのです。パイオニアと言えば恰好がよいですが、最初を行く人間は、霞のかかった道を進んでいかねばならないわけで、ほとんど全てが初体験なのです。老々介護だって、体力の弱った70歳代が、90歳代の面倒を看なければならないわけです。
60代だった私は、まだ気力も体力もありました。ですから、以前書いたように父や叔母の最期の面倒を看ることができたのです。ここまでは、この文章を読んでくださっている方々も経験があったり、前の世代がやっているのを聞いていて人間である以上珍しくもない、当たり前のことです。
さ~て、これで殆どやらねばならぬことは、終わった!後は、自分と家人のことだけを考えていけばいい!と、胸をなで下ろした所にまた新な課題が私に降り注がれました。以前書いた通り、一本の電話、従姉からの電話です。その電話が私の「さ~て、」を根底から変えてしまいました。私と家人のどちらが介護する側でどちらが介護される側になるかは「神のみぞ知る!」と言っていいでしょう。できれば私は、「介護される側」のほうを選びたいのですが……。
よく見かけますよね、老夫婦で、奥さんのほうがずっと先を歩いて、夫が必死に後を追う風景。本当は、若い頃のように並んで腕でも組んで、笑いながらウインド・ショッピングや珈琲店での談笑!理想でしょうが、ほとんどの老夫婦の風景は、前者です。できれば、後者のようになりたいと思って模索をしていた矢先に降ってきた従妹家の介護話。
「やらなきゃ、いいじゃないか」との声が聞こえてきますが、家族が少ないとそうもいかないのですよ。彼女の夫は、90歳に近い!彼女だって80歳を過ぎています。娘にやらせればいいじゃないか、と言っても大病をして手術をしたばかり、今後どうなるかわからないのですから!後期高齢者と言っても、親族に頼られ、できることならば、放っておけません!もちろん施設もあるのだし、活用しますが、人間ですから、ただ放り込んでチャン、チャンとはいかないのです。私の先に書いた経験では、施設は保護者を見ているものです。姨捨山のようにすれば、すぐに追い出されてしまうのですね。そうなると、次の施設を見つけるのがもの凄く大変になります。保護者は、施設から見て優等生でなければならないのです。お金は、こちらが(本人が)払うとしても、施設のほうが優位なのです。面倒を看るか看ないか施設に選択権があるのです。
老夫婦ならばどちら側になるか「神の意に委ねられます」が、親類や従姉の場合は、別です。私が看る側であり、決して看てもらう側の選択肢は、ありません!ですから、75歳の老体に鞭打って健康を保たねばなりません!これが、長寿社会の悲劇なのですよ!まず自分、そして家人、それから介護される側の!