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筋電メディカル徒然日記

2021年07月02日

徒然日記 25
67歳の手習い

以前にも書いたかも知れない。私は、67歳から本格的にドラムの練習を始めた。学生時代の頃は、ドラムを教えてくれる先生などいなかった。見様見真似と根っから持つ度胸だけでバンドを組み、ドラムを担当してアルバイトで荒稼ぎをした。今考えると詐欺に近いが、キャバレー以外で生演奏を聴く所はえらく料金が高かった!我々は、もっぱら夏のビアガーデンや大学の学部主催のダンパことダンスパーティで稼いだのだ。
ライブハウスなどほとんど無い時代、あっても横浜にジャズハウス、ほとんど外人客で埋め尽くされ、日本人が気後れする場所ばかりだった。カラオケなども無かった!歌好きのオッサンたちは、銭湯で演歌を歌うくらいである。下手でも小遣いになったのは、ビアガーデンで歌いたい客の唄を即興で弾いてあげることだった。大枚のチップが入った。客は、気持ちよさそうに歌い、ジョッキで飲んでいる客は、囃し立てた!可愛い歌手を入れたバンドだったから、多くのオヤジ客の鼻の下は、皆長くなる。こんな簡単に稼いでよいものかと考える暇もなかった。
 
67歳でドラムの手習いをしたのには、訳がある。もちろん仕事から解放され時間が出できたこと、それに認知症予防と運動不足の解消!友人から20年前に組んだバンドにドラムの空きができたこと!
今の時代、先生はいっぱいいる。音楽大学を卒業すれば、交響楽団に入る時代と違っていた。ある方の紹介で、素晴らしい先生と出会った。時間は、30分!先生も忙しく素人に時間を割けられない!私は、学生時代にバンドを組んでいたことを言った後「0から教えてください!」と頼んだ。
 
最初の頃は、さほどでもなかったが、だんだん難しくなる。知り合いの紹介で、ドラムが置いてある大きなスタジオを借りて、毎週2回3時間ずつ自己練習をしなければ追いつかなくなった。3時間には、わけがある。4時間も集中力がもたないのだ!週2回にもわけがある。小遣いがもたないのだ!
場所は、都の西北にある山吹町。太田道灌が鷹狩をしていると急に雨が降り出した。あばら家があるのでそこで「蓑を貸してはくれぬか?」と尋ねると、年端もいかぬ少女が1本の山吹を差し出して「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ かなしき」と詠んだ、あの有名な場所である。
 
ある日、練習まで時間があったのと雨が降ってきたこともあり、駅近くの珈琲店に入った。満員だったが、ひとりの爺さんが「そこにお座りなさい」と言ってくれた。3人連れである。それから、7年近く老人グループとして付き合っている。
 
最近、その爺さんは、満身創痍でバス停から100m歩けない。1、2度休みながら皆に会いにくる。息も苦しそう!やっとの老人歩き!2ヵ月前から来なくなった。ひとり暮らしだから心配であった。グループの若い爺さんに連絡が入った。救急車で入院したと言う。今回は人工透析が待っているだろう!ちゃんと歩けるようになるだろうか?
退院したら、今、森谷教授が開発中の道具を補助として筋肉を戻してあげたい!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹