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筋電メディカル徒然日記

2021年09月24日

徒然日記 37
短距離選手

私は、中学・高校を通して陸上部、それも短距離の選手だった。子供の頃から足は速く、小学生時代、学年では常に1番だった。運動会には、リレーの選手で活躍した。短距離でも特に100m走を得意としていた。
 
中学に行くと陸上部とサッカー部からお呼びがかかった。今は受験校に特化しているためか、全く名前が出てこないが、当時は小学校からフランス語教科がある学校、サッカーの強い学校、歌舞伎役者が多い学校で有名だった。体育の時間は、ほとんどがサッカーで、休み時間も放課後も生徒のほとんどがサッカー少年だった。二者選択に迷ったが、私の次に足の速かった友人がサッカーを選んだので、天邪鬼の私は、陸上部を選んだ。いろいろな試合に出たが、よく行った横浜にある三ッ沢グラウンドは、匂いまで思い出すことができる。
 
高校の時だったと思う。インターハイの出場が決まった。場所は昔の国立競技場。まだ新しかった。種目は、100m4人のリレーだった。リレーでは、私はいつもアンカーかスターターをさせられる。陸上競技は、あまり人気があるスポーツではない。わざわざ横浜まで行って不便な思いをして競技場まで観戦に来る女子生徒はいない。他校は、男女共学が多いが、私の通った学校は男ばかりだから華やかさはなかった。
しかし、この日は違った。いくつかある入口に教員が立ち、女学生が制服姿で並んでいる。眩い、眩しかった!日本で一番大きな競技場、一番誇れる競技場、陸上選手なら一度は走ってみたい国立競技場。それも立錐の余地もないほどに女学生が座っている。特にリレーとなれば!
 
今のように科学的な計算をされて作られたウエアではない。ランニングとパンツ、もちろん短距離用で靴の裏の前面だけに釘のように鋭く長いスパイクの付いたシューズを履いている。第一コーナーは、斜めに白線が引かれ、スターティングブロックが置かれている。スターターのみが使える特権である。何度も両足の長さに合わせて調整した。きっと後の3人は、いつもの練習通りに前走者が通過する線を足で目印をつけているに違いない。
「オンヨァマーク、ゲットセット」だったか「位置に着いて、ヨーイ!」か覚えていない。家人にこのことを話すと、この時、彼女も観戦に来ていたらしい!もちろん私のことを覚えていたわけではない。
私は、太腿も脹脛(ふくらはぎ)も太かった。毎日練習で走っていたし、土曜も日曜も祭日も夏休みもなく走った。Gパンの履けない太さの足をしていた。卒業して走らなくなった。「僕は、一生分走ったから、もう走らない!」が、口癖になった。
 
約半年前から、森谷敏夫京大名誉教授の考案した筋電メディカルEMSを使いだした。私は、ハマると徹底的にハマる。ドラムもチョコも、アイスクリームやエビせんも同じメーカーにハマり、何年も続く。
私の住むマンションは、東京湾に接し、2本の平行した道がある。上の段がマンションの敷地内だが、共用施設の道。そこには、0から10mずつマークの真鍮が埋め込まれている。100mは、ここ!走りたくなった。0に戻り、100に向かって75歳の爺は走りだした!他人から見てどうだかわからないが、嬉しかった!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹