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筋電メディカル徒然日記

2021年10月01日

徒然日記 38
祖父・菊池寛の死因

祖父は『父帰る』や『恩讐の彼方に』(子供むけの本には『青の洞門』)、『真珠夫人』などを書いた作家である。小説に興味がない方でも、芥川龍之介賞や直木三十五賞は聞き覚えがあるだろうし、雑誌『文藝春秋』を知っている方も多いと思う。両賞を設立し、また、この雑誌を創刊したのも祖父である。
 
最近の新型コロナのパンデミックにより、祖父が一世紀近く前に書いた『マスク』が再度文春文庫で創刊された。その中に、祖父の死因である心臓病について書いてあったのに私は驚いた。なぜなら、祖父がいつ頃から心臓に疾患を持っていたのか、私の大きな疑問だったから。高松にある菊池寛記念館の展示物にも、祖父が肌身離さず持ち歩いていた心臓の薬が置いてある、家族の誰も彼が、いかなる心臓疾患であったか思い出してくれなかった。この『マスク』の前半に、私の長年持っていた疑問の答えが、自らの筆で書かれていたとは!抜粋してみよう。
 
(旧字をやめて読みやすくするとともに、改行をしていない)
見かけだけは太っているので、他人からは非常に頑健に思われながら、そのくせ内臓が人並み以下に脆弱であることは、自分自身が一番よく知っていた。ちょっとした坂を上っても、息切れがした。階段を登っても息切れがした。新聞記者をしていた時、諸官署などの大きい建物を駆け上がると、目指す人の部屋へ通されても、息がはずんで、急には話を切り出すことが、出来ないことなどもあった。肺の方もあまり強くはなかった。深呼吸をするつもりで、息を吸いかけても、ある程度までおよぶと、直ぐ胸苦しくなってきて、それ以上はどうしても吸えなかった。心臓と肺とが弱い上に、去年あたりから胃腸を害してしまった。内臓では、強いものは一つもなかった。そのくせ身体だけは、太っている。素人眼にはいつも頑健そうに見える。自分では内臓が弱いことを、ばんばん承知していても、他人から「大丈夫そうだ、大丈夫そうだ」と云われると、そう云われることから、一種ごまかしの自信を持ってしまう。器量の悪い女でも、周囲の者から何か云われると自分でも「まんざらではないのか」と思い出すように。本当に弱いのであるが「丈夫そうに見える」と云うことから来る、間違った健康上の自信でもあった時の方がまだ頼もしかった。が、去年の暮、胃腸をヒドク壊して、医者から、かなりはげしい幻滅を与えられてしまった。医者は、自分の脈を触っていたが「オヤ脈がありませんね。こんなはずはないんだが」と、首を傾けながら、何かを聞き入るようにした。医者が、そう云うのも無理はなかった。自分の脈は、いつからと云うことなしに、微弱になってしまっていた。自分でじっと長い間抑えていても、あるかなきかの如く。ほのかに感ずるのに過ぎなかった。医者は、自分の手を抑えたまま一分間もじっと黙っていた後「あゝ、あることはありますがね。珍しく弱いですね。今まで、心臓について、医者に何か云われたことはありませんか」と、ちょっと真面目な表情をした。「ありません。もっとも、二三年医者に診てもらったこともありませんが」と、自分は答えた。医者は、黙って聴診器を、胸部に当てがった。ちょうど、その所に隠されている自分の生命の神秘を、嗅ぎ出されるかのように思われて気持ちが悪かった。医者は、幾度も幾度も聴診器を当て直した。そして、心臓の周囲を、外から余すところないように、さぐっていた。「動悸が高ぶった時にでも見なければ、充分なことは分かりませんが、どうも心臓の弁の併合が不完全なようです」「それは病気ですか」と、自分は訊いてみた。「病気です。つまり心臓が欠けているのですから、もう継ぎ足すことも、どうすることも出来ません。第一手術の出来ない所ですからね」「命にかかわるでしょうか」自分は、オヅオヅ訊いてみた。「いや、そうして生きて居られるのですから、大事にさえ使えば、大丈夫です。それに、心臓が少し右の方へ大きくなっているようです。あまり太るといけませんよ。脂肪心になると、ころりと衝心してしまいますよ」医者の云うことは、一つとしてよいことはなかった。心臓の弱いことは兼ねて、覚悟はしていたけれども、これほど弱いとまでは思わなかった。(中略)「何か予防法とか養生法とかはありませんかね」と、自分が最後の逃げ路を求めると「ありません。たゞ、脂肪類を喰わないことですね。肉類や脂っこい魚などは、なるべく避けるのですね。淡泊な野菜を喰うのですね」自分は「オヤオヤ」と思った。喰うことが、第一の楽しみと云ってもよい自分には、こうした養生法は、致命的なものだった。

(以上、菊池寛作『マスク』より)

 
 
この作品は、菊池寛が30歳の頃書いたもので、彼は私が生まれた2年後に急逝した。59歳だった。私が父に「お爺ちゃんは、早くして死んだんだね」と言ったら「あの頃は、平均的だったよ」と答えた。たった70数年前のことだ。祖父の死因は、狭心症だった。

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹