2021年10月22日
徒然日記 41
友たち
あいつ今どうしているだろう?
もう75歳を過ぎると、心配しなければならない友人が多くなる。
テレビのニュースをボーっと観ていたから、正しいか否か保証しかねるが、キャスターが「75歳の平均で4分の1は、なんらかの疾患を持っている」と言っていた。75歳は、恐ろしい年で後期高齢者として扱われる。もっと優しい世界が待っていると思っていたが、気が遠くなりそうな額、眼が飛び出るような額の後期高齢者保険料を払わなければならない。75歳以上の爺、婆は、金ぐらい出して面倒を看てもらえ!というわけである。それに、受けるか否かを別にして、介護保険料も支払う義務があるのだ。働きに働いて、やっと温泉にでも行ける。とか、家人とともに一緒にエッフェル塔をいつか見にいこうねと約束したことも、その保険料請求書を見ると、体中の力が抜けてしまう!そんな夫婦での華麗な旅は、請求書には日本国は許さじと書いてあるように見える。
老人にかかる医療費までなぜ若者たちが保険料として支払う義務があるか?
こんな議論が何十年か前にあった。その落としどころが、若者と老人を分けて、老人による老人のための保険、つまり後期高齢者の名と共に、このシステムができた。ちょっと待てよ、と思う。保険料を担当していた役所が、リーマンショックで多額の損失を出し、責任も取らずに悪魔のようなシステムで、ほそぼそと生きる老人の最後の楽しみまで奪っていっていいものか?
その頃になると、扶養者などという優しい言葉も消えている。みんな大人なんだからね、夫は無論のこと妻もひとりの女性として扱ってあげるからね、妻だってユニクロで下着や靴下が買えるお金と、歯医者代や薬代くらい払える年金をあげてるんだからね!ちゃんと後期高齢者保健料は支払ってもらわんと、ね。お国のお役人さんたちの考えである。
議員の皆さんは、お国のために汗水たらして働いたから、老後を心配しないほどの共済年金が出る。そして、大衆は目の玉が飛び出るほどの金額(3年で小さな自動車が1台買えるほどの金額)を支払う義務を持つ。会社勤めの人は、厚生年金、それしか収入がないのにだ。
人生100歳時代と言われるが、健康より金がもたない。100年ひとり身で生きられるかと尋ねれば“NO”だ!
愚痴は、このへんまでにする。友たちの話だった。
あいつ今どうしているのだろう?私の友人の4分の1、車椅子の生活。ひとりでは、旅にも行けない!杖を持って、たったひと駅バスに乗り、週2回友たちの待つ喫茶店に来る。家に帰っても話す相手は、もう居ないんだもの。足を見ると、蟹のようで、前に向かっていない。紙で作った相撲の玩具のように左右にコトコトと動きながら、進んでいく。他の友人だって、誘っても「迷惑かけるだけだから、行かないことにしておく」と、言うのみだ。口癖のように!決して会いたくないのではなかろう!往復が辛いのだ!きっと!歩けばいいのさ、と言っても無理な話だ、歩けないから、そうなる!