2021年12月17日
徒然日記 49
人生100年というけれど!
別にコロナのせいではなかったが、昨年、そして今年は知り合いの訃報が多かった。60歳代がふたりも逝った。
この数年訃報が届いた時は「〇月〇日、何々により誰々が死去されました。葬儀は御家族葬で●日に執り行われました」がほとんどで、これが当たり前になってきた。後期高齢者になった自分より先輩の訃報は「まっ、仕方がないか」と思うが、若い人は想い出が強いだけにやりきれない。
60歳代の訃報は、“がん”が多い。誰もが死を覚悟しなければならないのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、自分より10歳も年下だと「何で!」と言いたくなる。
人間は120歳も、極端に言えば140歳も生きられると聞く。翻訳でよく売れていると聞いた本には、そのうち300歳という年寄りも出てくると書いてあるらしい!恐ろしい!しかし、今、私の周りには100歳の高齢者は見ない。国が言うような「人生100歳時代」なんて本当かしらんと思ってしまう。そこに、コロナって厄介な奴が生まれてきたものだと思う。約2年も旅ができないのだから!
確かに仕事で先日高松の講演会に作家をお連れして行って来たが、客席を半分にしているし、夜になって会食の準備もない。講演が終わる時間から東京に帰るのは、しんどい!通例では、座敷のある会場にお忙しい市長さんまで来てくれて酒を吞み交わすのだが、何にもない!やるなら勝手にやってくれ!てなものだ。
高松の菊池寛顕彰会には、気の利いた方がいて「友人の店だから」と高松で歴史のある“二蝶”という料亭を用意してくれた。こちらは、作家と私、接待してくださったのは顕彰会の方と“二蝶”の会長である。4人、いいじゃないですか!作家も喜び、満足してくださった様子だ。昨年、高松の講演会は中止だった。少し規制が緩んで、今年の会はできた。
若者も苦労しているだろう!小学生、中学生、高校生と修学旅行も行けない状態である。我々老人の同級生が集まると修学旅行の想い出話に花が咲く!それがないのだから可哀そうだが、我々老人は逆に時間がない。年を取ったら、温泉に行こう!近場の外国に行こう!と夢を描いていても近隣の温泉場にも怖くて行けず、ましてや外国をや、である。
不思議なのは、仕事で外国に住んでいたことのある人や、娘が外人と結婚した両親の感覚が一般の人たちとちょっと違うところだ。娘が外人のホテルマンと結婚した友人夫婦が、このコロナ騒ぎ中、見計らってギリシャ旅をしてきた。今、娘夫婦がギリシャのホテルに転勤しているので是幸いであるらしい。娘が外人と結婚、離婚と忙しいので子供の面倒をみてほしいとの連絡が入り、日本にいる息子が止めるのも聞かずアメリカに行ってしまった。11月いっぱいに帰って来ると言っていたが、新なコロナウイルスの変異で帰って来られるのかしらん!
今日、ちょっと用事で日本橋に行って来た。地下鉄駅に降りるエレベーターに向かいひとりの老婆を追い越した。杖をつき、腰が曲がり、小さく見える。ゆっくりゆっくり進む。私は、エレベーターのドアを開き待った。「どうも…」と言い、よっこらしょと小声で言いながら乗り込んできた。出る時も同じ、「どうも…」と言い、よっこらしょ!年齢は定かではないが、楽しそうではない!