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筋電メディカル徒然日記

2022年04月22日

徒然日記 65
私見「文献言語解釈」
第6話 筋肉の筋線維3種類

何度も書いてきたので「またその話か」と叱られるのを恐れずに書きます。
私は、中学、高校時代は陸上競技部に所属していました。小学生の頃から同級生の中で一番速かったから、中学に上がった時に、もう決められていたも同然だったのです。
 
当時は、わが校はサッカーが強くて有名でした。フランス系の学校で小学校1年の時から、体育の授業といえばほとんどがサッカー、授業の合間の10分程度の休み時間もサッカー、昼休み、放課後もサッカーとサッカー漬けだったのです。
私は小学校の運動会では、かならずクラス対抗リレーの選手に選ばれ、アンカーでした。中学に上がる時にサッカーを選ぼうと思っていたのですが、サッカーは2番目に足の速い奴が入り、私は、陸上部短距離選手になったのです。選手たちは、中学と高校は色分けされません、中学で速くても身体の出来ている高校生には勝てません。それでも中学時代、私は活躍できたのです。
 
高校に移ると陸上選手としては、本番です。色々な大会に出場したのですが、一度も中学時代とは違い1位を取れませんでした。その頃、水戸の学校の野球部に俊足で有名な選手が、目黒高校の陸上部にスカウトされたのです。
どのスポーツも似ていると思いますが、最終の決勝に出てくる顔ぶれは、だいたい同じです。私の1年上に目黒高校の飯島秀雄がいたのです。彼は、その後、1964年の西ベルリン国際陸上競技大会で29年ぶりに日本記録を更新しましたし、東京オリンピックの準候補選手になり、東京とメキシコのオリンピックのリレーの選手に選ばれました。残念ながら、両大会とも準決勝まででしたが、あの頃の競技場は、アンツーカーでした。それでも彼は10秒1という記録を持っています。その後、俊足が認められロッテオリオンズに入りました。
よく大会のサブトラックでウォーミングアップをしている時「おい、一緒に走ろうぜ!」と誘われましたが、勝てなかった!彼は、身長176センチと、当時で言えば大男でした。今だに、苦い思い出です。1位、2位の人生は大違いです。東京都から体育功労賞を頂きましたが、飾ることなく未だにスポーツバッグに入れたままです。
 
60年代の日本の運動部は、まだ科学的ではありませんでした。夏でも水を飲むな!うさぎ跳びをしろ!もう私は、今年76歳になります。スポーツマン用のズボンしか履けなかった足も弱ってきました。そんな時に筋肉博士森谷敏夫教授に出会ったのです。
「筋肉の筋線維は3種類あって、非常に持久力はあるけど、力はあまり出ない『遅筋』、短時間で非常に大きな力は出るけれど持続しない『速筋』と、中間的な筋肉とがあるんだ」と教授から聞きました。「この速筋がどれほど強いかで、速く走れるか決まるんだ」
人間の筋肉は、遅筋から速筋へ順番に動いていくそうです。軽いジョギングくらいじゃ速筋まで到達しないのです。老人になると使わない速筋はやせ細ると教授から言われました。そうすると歩く速度も遅くなる。今、飯島さんと歩くと私は勝てるかも!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹