TSUREZURE

筋電メディカル徒然日記

2021年01月22日

徒然日記 02
悪夢

いつものように、放課後体育館で練習をしだした彼に、悪夢が襲った!
鉄棒を得意としていた彼は、慣れのために少し注意を怠ったのかも知れない。いつものように手に滑り止めの粉をつけ、パン! と彼は手を叩いた。下級生が彼を持ち上げる。滑り出しは、順調だった。苦手な空中でのひねり技も上手くいった。後は、うまく着地すればいい。いつもならば2回ひねりを入れて廻って着地するところだが、あまりにも調子が良かったので3回ひねりを入れてみたくなったのだ。一瞬の判断だった。
しかし、いつもと感覚が違っていた。宙を飛ぶ体育館の景色が微妙に違っていた。
 
鉄棒でも吊り輪でも演技の最中に落下することは、よくあることで慣れてはいたが、今回の技は、練習はしていたものの、そこまで慣れているわけではなかった。落下すると思った! でも下には、ウレタン製の怪我防止用のマットが敷いてある。しかし、瞬時の脳の動き、パニックだったかも知れない! 落ちる!
後になって思い出したのかも知れない。何も考えなかったのかも知れない。強い衝撃が躰の何処かを襲った。息が止まった! バキッと音がしたのは、覚えている。
 
初めて乗った救急車。制服を着た隊員らしい人たち。早くしてくれよ、痛てぇんだから。時間はかなりかかったような気がした。隊員は、実に冷静なのだ。「ここが痛いんですか?」まさに痛いところを触ってくる。痛て、て、て!「ちょっとまずいな!」隊員の声が遠くで聞こえたような気がする。ストレッチャーに乗せられた。「病院までは、もう少しだから頑張るんだぞ」付き添ってくれる体操部の先生の声も遠くにいるように聞こえた。救急車の窓に赤色灯の影が廻っている。何か現実とは思えないほど遠くでサイレンの音が聞こえてくる。悔しさが込み上げてきた、焦りとともに!
 
オリンピック出場を諦めるには、時間はかからなかった。何か障壁があっても彼は気持ちの切り替えが早い。気持ちの切り替えが上手いと言ってもいい。ゆえに彼には「挫折」という言葉がない。
体操について思いが変わったのは、いつのころだったか? リハビリが終わって、オリンピック出場のチャンスが無くなったな、と思った瞬間彼は、次に何をすべきかを考えていた。それまで、中学・高校でも図書館に始終行って、スポーツに関する本を読み漁っていた。周りはきっと自分を、スポーツ馬鹿と言っていたに違いない。耳も良かったせいで、英語も聞けばすぐに頭に入った。ボクは、利口なのだ、それに、母が始終言っていたように「すごく良い人にめぐり合う星に生まれた」が、力になった。
 
彼は、中京大学の全ての単位を取得していたので、卒業式を待たずに、さっさとアメリカに渡った。これからの若い選手たちにも、こんな思いはさせたくない! こんな殊勝な気持ちだったかも知れないし、自分の「優秀さ」を世界の中で試したかったのかも知れない。
そうして彼は、南カリフォルニア大学に入った。応用生理学とスポーツ医学を学ぶために…。
幸いにも、昔の論文のようにドイツ語やラテン語を知らなくても、今は、英語が共通語になっている。南カリフォルニア大学で、彼は漁るように論文を読み続けた。

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹