TSUREZURE

筋電メディカル徒然日記

2021年03月12日

徒然日記 09
逆老々介護?

私が介護をして逝った叔母が、まだ若い時でした。数えてみると今から60年以上前のことです。ナナ子叔母には、マルコという可愛い娘がいました。私の従妹です。長じてからは「夏坊、私ね、きっと40歳までは生きられないと思っているの!」彼女は、こんなことを、何回か口にしていましたっけ!彼女は、39歳であの世に旅立ちました。
可愛いひとり娘を亡くした叔母は、荒れ狂ったように自分の母親、私のお婆ちゃん、菊池寛の妻の包子に「あんたが、悪いのよ!」と悪態をついていました。いつも沈着冷静、優しい叔母の悪態に私は、びっくりしました。叔母が、お婆ちゃんの面倒を看ていたのです。
 
お婆ちゃんは、菊池寛同様の香川の高松生まれ、祖父が28歳の頃、新聞記者をしながら駆け出しの小説家の時、一計を思いつき「どんな女性でもいい!金持ちの娘を嫁にしたい」と高松で吹聴しました。いたのです。江戸時代、御三家で高松城を守っていた殿様をお守りした家柄、そう、今で言えば経理担当重役の家柄の娘。ふたり娘で長女は賢い、次女は手がつけられないほどの我儘娘!しかし、美人だったらしいのです。
芥川龍之介や久米正雄が、菊池が嫁さんをもらったから一度拝顔しようと企み、家に押し掛けたところ、襖の陰からお茶道具を乗せた手だけが見えた。おふたりの随筆にも書かれていますが「おい久米君、君は奥さんの顔を見たか?ボクは見られなかった」芥川が言うと久米は「手だけは、見えた」と言ったらしい。
次女で我儘だったお婆ちゃんは、まともに見えて奇人変人でした。祖母の実家の両親も、菊池寛が、まだ売れない作家でしたが、金はやるからと、遠い東京へ嫁に出しました。なにせ昔は東京と高松は、1日以上もかかったのです。両親とも、しめしめとほくそ笑んでいたに違いありません。
そのお婆ちゃんは、共に住んでいたマルコが可愛くてしようがない。病気でもされてはと、口にする茶碗や箸、スプーンなど、マルコが使う物全てをかならずアルコールで消毒をしていたと聞きました。マルコは、そのために、躰の弱い子になったのです。
 
そういえば60年以上前のある日、私がまだ中学生の頃マルコと遊ぶために自転車で近くにあった叔母の家に行きました。驚いたのです!縁側に座る叔母ちゃんの膝に見知らぬ男の子が座っていました。叔母は、施設からその子を預かり、育てていくと言っていました。叔母がこの世を去る前によく言いました。「あの子は、知恵が遅れているでしょ!施設の方にそれを言ったら、じゃ他の子をと。私は怒ったのよ、犬猫じゃあるまいしって!」
その子のために、叔母はある計画に参加しました。足利の山を買いブドウ園を作り、ワインを作って、そんな子供たちが自立できるようにしたのです。よくテレビでも出てくるブドウ園です。成功したようです。叔母は、その子を自らの子として愛しました。クールな叔母は、自立のために籍に入れず、本当の両親の苗字のまま育てたのです。私の10歳年下です。
一度、本当の親に見捨てられた子供のトラウマは、戻りません。今、ブドウ園で給料を貰い働いていますが、急に不安になると私のスマホが鳴ります。彼が動けなくなったら、私はどうしたら良いのでしょうか?逆老々介護ですよ!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹