2021年03月05日
徒然日記 08
介護に必要なものは
ここまで、私が介護してきた大切な5人の人たちの話を書いてきました。それは、特別なことではありません。どなたでも経験するか、してるか、されたかの話です。経験すると分かりますが、介護には健康で体力が必要です。本当を言うと介護される側、格好をつければ被介護者も、健康と体力があれば、きっともっと楽しい老後が送れるものなぁ!と、思うのです。
私は、今や70代の半ばです。介護は、ほとんど終わっています。ところが私には、大分上の従姉がいます。従姉もヨレヨレの旦那をあてにしていないようです。ひとり娘がいますが、おひとり様で、何かあってもどこまで頼りになるか、疑問でしょう!と、いうことは彼女の介護も私が?先日、電話があり今後の話がしたいと言っていました。運良く、コロナ騒ぎが始まった時で「コロナが終息したらね!」そうしようということになりました。だからと言って、解決したわけではありません。
私がいつも提げているバッグの中に、以前役所から送られてきた『介護保険被保険者証』を忍ばせていることを誰も知りません。きっといつまでも、元気で健康で体力がある男と思っているのかも知れませんが、もはや私は介護される側に回っているのです。
42歳の頃に胆石を取る手術をしました。また、3年くらい前に、その胆石を取った痕の部分に綻びが出て腸が入り込むというヘルニアで救急車に乗り、緊急手術をした経験もあります。
父の看病の時、病院の待合室で何気なく血圧計に腕を突っ込み、その数値の高さに驚き、院長さんに話すと血圧の上は別として下が高いね、毒にも薬にもならない薬を出しておきましょう!と言われました。お医者様にですよ!あの院長さん、お医者の免許持っているのかなぁ!ただ、その後、聖路加で看てもらったら、まぁ、ちょっとね!と、薬を出されました。今は、主治医のもとで同じ薬を飲んでいます。上120、下70前後で優等生です。
健康なのも、中学生、高校時代に陸上部の短距離の選手だったからかも知れません。
九段にあった学校では、長距離の選手は皇居2周を走ってきます。私のような短距離の選手は、靖国神社の下から大鳥居を潜って、誰かは知りませんけど銅像まで走ります。下から大鳥居まで約100m、鳥居から銅像まで約100mと200mを走るわけです。今はコンクリートになっている地面ですが、60年前は、砂利が敷き詰められていました。きっとこの神社は、金持ちなのでしょう!常に、新しい砂利が足されるのです。
見た方は分かるでしょうが、九段下から九段上に走るのですから、急勾配です。当時は、運動も非科学的でしたから靖国神社20本、と先輩に言われ嫌々走らされたものです。それにプラスして、校庭うさぎ跳び10周と言われます。私は、足が速く、小学校の運動会で6年間、リレーのアンカーを務めました。陸上部の時は、試合で必ず決勝までいきます。大体決勝の顔ぶれは、同じでした。
その中に、前回の東京オリンピックに出場した目黒高校の飯島秀雄がいたのです。ほとんど私は、2着でした。飯島に勝ったことは、一度もありません。昔、新しかった神宮の国立競技場の脇に練習用のサブトラックがありました。飯島に逢うと、ヨッ!一緒に走ろうや!と、言います。まるで、噛ませ犬です。でも、私の筋肉は隆々としていました!