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筋電メディカル徒然日記

2021年07月16日

徒然日記 27
“骨折”こわい

骨折“ほねおり”ではありません、“こっせつ”と読んでください!
 
大分昔のことになります!でも奈良時代や鎌倉時代ほど前ではありません!私の祖母の話です。祖母の夫というのが、女性と見ると声をかけていた作家の菊池寛です。同級の芥川龍之介が同人雑誌『第四次新思潮』に「鼻」を書き、夏目漱石の目に留まり、一躍学生時代に作家デビューをした、その頃です。
 
ある事件が元で、東大から京大に移らねばならなかった菊池寛は、卒業すると貧乏新聞記者になりました。その時のことは何も残っていませんが、ほとんどのことを随筆に書いた菊池寛にとって、逆にそのことが気にかかりました。書かないということは、書けない理由が祖父にあったに違いないのです。祖父のことを書いたり、講演したりする時に私は、できるだけ祖父になりきって考えます。互い人間同士ですし、近い関係ですから何となく自分の考えに似ている部分があるのです。臨場感、今で言えば“リアル”を出すために、彼になったつもりで考えるのです。どうせ、他人様は知らないのですから、孫が言ってしまえば、それが本物になってしまう。どうも、私も祖父と同様に“インチキ”で“適当”で“好い加減”な性格なのですね。
 
インチキは別として、適当とは、的に当たっていること。好い加減とは、ちょうどいいことを指す言葉ですから、今使われている悪い意味ではありません。ちょうどいい!程度の意味です。ちょうどいいくらいが、人生、いいんですよ!
 
そうそう、菊池寛は、藤原氏を継ぐ武士の家、室町時代あたりに儒者になり、高松の水戸様のお城でお殿様に儒学をお教えしていた博士の家柄でしたが、明治維新で天地がひっくり返ってしまいました。貧乏な元士族、小学校に入っても教科書を買ってもらえない、父親に「友達から借りて写本をしろ」と言われた時、修学旅行に自分だけ行けない嘘をつかねばならなかった時が一番悲しかったと後に書いています。作家になろうにも資料を買う金がない。祖父に名案が浮かびます!そして郷里に電報を打ちました。
「カオハ トワナイ ドンナ ジョセイ デモイイ カネモチノイエ ドンナヒトデモヨシ ケッコン スル」
 
そう言われて祖父と結婚したのが、私の祖母です。包子と書いてカネコと読みます。へんな名前でしょ?美人でした!祖父が急に自分の顔に自信を持つくらい美人でした。激情型で、自分勝手、ちょうどいいから嫁にもらってもらえ!金なら幾らでも付けるからできるだけ遠くにやれ、地球の果てがいい!祖母の父は、そう思ったのでしょう。渡りに舟です。
 
もう私が大人になってからのある日、私の父から電話が入ります!「お婆ちゃんが、転んで足を折った、骨折した!」祖母が、90歳になるちょっと前だったと思います。それから3年後、病院で寝たきりの婆さんは92歳で、59歳で逝った夫のもとに旅立ちました。
 
爺さんの墓は、多磨霊園にあります。大きなお墓に川端康成さんの文字で「菊池寛の墓」と書かれています。その中に祖父と並ぶように祖母を入れました。納骨をした後に帰ろうとする私の背で声がします。「夏坊、たのむ婆さんを置いて行かないでくれ!」何かの錯覚だったかも知れませんし、祖父の声も知りません!もしもっと早く森谷教授や筋電メディカルEMSを知っていたら、祖父はもうしばらく平安な時を過ごせていたかも知れません!

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹