TSUREZURE

筋電メディカル徒然日記

2022年09月22日

徒然日記 87
Bonjour Tristesse

1954年にフランスの作家フランソワーズ・サガンが書いた小説のタイトルです。1958年にデヴィッド・ニーヴン、デボラ・カーら豪華俳優陣によってアメリカとイギリスの合作映画として公開されました。題名が直訳の「悲しみよ、こんにちは」です。ここで、映画の話を書くつもりではありません!私が悲しい思いをした時に、かならず頭に浮かぶのが、この「Bonjour Tristesse ─悲しみよ、こんにちは」なのです。
 
10日近く前に私のスマホに名前の書かれていない携帯から電話がかかってきました。
私も歳ですから電話に気がつかないことが多いのです。2度も赤字で不在着信と書かれています。こりゃ悪いことをしちゃったなぁ、しかし、誰からだかわからない電話も嫌だし、と思って画面を見ていたところに名前の書かれていない同じ携帯番号から電話が着信したのです。
 
出ると、先方の男性が苗字を名乗りました。その名前に、私はピンと来ませんでした。電話があったのに気付き画面を覗いていた所も地下鉄の改札口で騒音もひどく、また、大きな重いトートバッグを手にしていたので相手の声がよくわかりません。それに私は、難聴なのです。考えられる理由は、ふたつあります。
 
そのひとつは、私が赤ん坊の時に中耳炎になったのです。熱は40度近くが続いたそうで、お医者様からは「とても危険だ」と言われたそうです。戦後まもなくでしたからよい薬など日本にありません。父が伝手を辿って進駐軍の将校から粉のペニシリンを分けてもらい、自ら私の太腿に打ったのです。将校からは「赤ん坊は腕に打ってはいけない、腕がもぎれてしまう恐れがあるからね!太腿に」父は、その緑の粉を水に溶かして私の太腿に打ったのです。今でも私の太腿に跡があります。
 
二つ目は、楽器です。若い時から趣味でバンドをやっています。スタジオでの練習は、決して耳によいものだとは思われません!また、この両方が複合作用になって難聴度を増しているのかもしれません!テレビを観ていても、音が小さくて、ついつい大きくし家族から怒られました。ただ、とぎれとぎれには聞き取れます。
 
騒音の中、重い荷物を腕にかけながらスマホを同じ手で持てば、なお聞きづらいのです。書いたように先方の苗字にもピンときませんでしたが、最後の案内状の送り先を教えてほしい、と言ったことはわかりました。
 
それから、10日待っても案内状が来ません、またスマホに例の番号から電話がありました。今度は、オフィスにいる時です。やっとわかりました!勤めていた出版社の近くの喫茶店をやっていたママの息子さんです。
 
ママとは、ほぼ同い年です。20代半ばの頃から、60歳半ばまで互いの子供相談室をやっていた仲でした。ママの店が空く時間帯に、です。相談相手と言うより、相手の話のただ聞き手にまわるような友。そういえば、この10年くらい連絡も取り合っていませんでしたし、私も定年で社を退き、ママも店を畳んだのです。
電話の向こうで息子さんが言いました。あの後、直ぐに認知症になったそうです。そして続くように脳溢血になり、施設に入ることになったそうです。施設でパンデミック、コロナ感染で旅立ったのです。
 
悲しみよ、こんにちは!別れは、言いたくありません。

高松市菊池寛記念館名誉館長
文藝春秋社友
菊池 夏樹